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2013.12.04_AA815を支えた愛しきリグたち(MX-6Z)

AA815を支えた愛しきリグたち
12 /04 2013
第八回目の最終回では、ミズホ通信MX-6Zを取り上げます。
 
別名「ピコ6(ロク)」と長く呼ばれることとなるシリーズの第2弾仕様。

 
出力は250mWと市民無線の半分。Sメーターはついていません。一つの水晶で50KHzをカバー。150~200KHz用と200~250KHz用を実装するのがお約束でした。アンテナは、初代のロッドアンテナに変わってヘリカルホイップ。完成品とキット(配線をつなぐだけで、調整は不要)の2種類発売されていて、当局はキットの方を購入しました。
 
初代ピコ6が登場したのは、1981年頃で当時中学3年生。

 
たしか、晴海のハムフェアーにローカルの高校生と行った時に「買ったんだぜ。」と見せてくれました。ロッドアンテナを伸ばし、スイッチを入れて、ダイヤルを180度くらい回して戻して「あっ、いねーや・・・。」。なんて一瞬で簡単なワッチ!?固定機でダイヤルをぐるぐる回すのと全く違う世界を見たようでした。
 
既にローカル各局はFT-690などで夜な夜なラグチューをしており、それに参加する目的でピコ6Zを購入しました。説明書とにらめっこをしながら、慎重に組み立てていきます。実はそれより少し前に、FCZ研究所から発売されていた寺子屋キットシリーズ「ポケトラ」(6mのAM機、10mW)にチャレンジして結局交信できる状態まで仕上げられなかった苦い経験があるため、ピコ6Zは慎重にならざるを得ませんでした。下は最近発見された「ポケトラ」作成中の写真。

 
結論から言うと、ピコ6Zの製作は簡単そのもの。当局でもあっという間にできてしまいました。さすがに付属のヘリカルホイップではあまり聞こえませんでしたが、HFで使っていたGPに接続すると、多くの局が聞こえてきました。休日には山岳移動局がたくさん出ており、今のさみしい6mの状況からは想像できません。Eスポシーズンになると、北海道・中国・四国・九州各局と余裕でQSOが出来、QRPの面白さを知ったのもこの時期でした。
 
専用のスタンドマイクや外付けSメーターを自作したり。やればやるほど愛着心が湧いてきて、他の既製品のリグたちとは一味違った思い出を残してくれました。毎晩のように2~3Km範囲のピコ6Zやピコ6Sを使うローカルとラグチューを楽しんでいました。当時のQSOは、ヨコハマAD195局さんがワッチされていたようで、25年後にフリラ上でのQSOで教えていただきました。
 
その後、大学生になり完成品のピコ6Sや専用リニア、専用ラックなども揃えましたが、結局アクティビティーは上がらず、ピコ6Zのような思い出は残りませんでした。これは、専用ラックの説明書。この手書きのユルさがたまらないです。

 
ミズホ通信が業務縮小の発表を知って、調子の悪いピコ6Zを思い出を綴ったメモと共に修理に出しました。
当時、駆け込み修理が殺到していると聞いていたので、無理かなと思っていましたが、予想外にも修理されて戻ってきました。それ以上に感激したのは、高田先生(社長さんなのですが、「ラジオの製作」読者としてはどうしても先生と呼んでしまいます。)から直筆の手紙が入っていたことです。
 
「さわぽんさんの思い出のリグなので今回修理させていただきました。ただし、修理はこれを最後にさせてください。修理費は部品代だけで結構です。」といった内容でした。手紙を読み終えた後、感謝の気持ちと共に「ミズホ通信、本当に無くなるんだあー・・・」とさみしい気持ちになったことを覚えています。

 
現在ピコ6Zは、やはり調子が悪くオブジェと化しています。それでも、250mWでQRPの楽しさを教えてくれたおかげで、リグは違えどもその精神はフリラ運用に受け継がれており、そういう意味で当局にとって大きな影響を与えてくれたリグなのです。
 
これまで全8回にわたり、当局を支えてくれたリグを当時の思い出と共に綴ってきました。こうして振り返ってみると、フリラへ続く過程がよくわかり、フリラには「ハマるべくしてハマった」といったところでしょうか・・・。

2013.11.28_AA815を支えた愛しきリグたち(FT-290)

AA815を支えた愛しきリグたち
11 /28 2013
第七回目は、八重洲FT-290を取り上げます。

 
山岳移動局のご用達、FT-X90シリーズです。オールモードでデジタル表示、当時の多くの中高生が使っていました。今、ハンディと言えばVX-3などタバコサイズをイメージしますが、当時はこのお弁当箱サイズでもハンディーと呼んでいた記憶があります。ダイヤルを回すと「カリカリ」という音がして気持ちがいいです。
 
IC-720Sで開局しましたが、固定機で運用していると、どうしても移動がしてみたくなるものです。特に憧れたのは自転車モービル!当時中学生だった当局としては一番身近な乗り物でしたからね。ラジオの製作でもよく特集を組まれていて、かぶりつきで読んでいました。

 
ポータブル機は、どれも本体にアンテナが付いていて、以前憧れたCBみたいにどこでもオンエアできるのが魅力的でした。当時アイコムIC-502Aなどが発売されていましたが、ポータブル機は他にもありました。

 
NECやミズホからもありました。

 
最近知ったのですが、NECの6mトランシーバーはミズホの2mトランシーバーと兄弟らしいですね。

 
当局としては、AMやFMよりSSBが希望でした。最初はトリオのお弁当箱シリーズに魅力を感じていました。

 
その後、注目していたのは、スタンダードのC58。

 
2mでオールモード。これにしようかと思っていた時、出ましたFT-690。

 
最初のイメージは、「ダイヤルからボタンまでFT-680とほとんど同じじゃん・・・。」

 
そしてローカル局の多くが690を購入していきます。そういえばアイコムから固定で10Wが出せるIC-505ってのもありました。

 
ナショナルのRJX-610を使っている局も多かったですね。

 
それを見て、当局はあえて2mバージョンのFT-290を購入しました。理由は、一緒に移動した時に同時運用が可能になるから。
 
2mSSBは局数が多く、部屋の中でロッドアンテナだけで結構QSOできました。その後、外部アンテナを建てます。貧乏ハムの強い味方、マスプロのウエーブハンター5エレ。

 
安いのに「八木」ですもん、嬉しかったです。お約束の富士山固定ビームで稼ぎました。あれだけ憧れた自転車モービルも高校生になると魅力を感じなくなり、結局一度もやりませんでした。
 
そしてラジオライフが創刊。

 
そうです、受信改造と警察無線の受信にのめりこみます。当局もラジオライフを見ながらFT-290を改造し「~C号該当なし、以上警視庁!」といった照会センターをよく聞いていました。夜中には警察無線に対する妨害局もよく出ていましたね。それを録音していたテープは今も手元にあります。
 
大学生になり、車の免許を取るとFT-290を乗せてモービル運用を楽しみました。その後、社会人になり無線から遠ざかると、他の無線機と共に押し入れの中へ。また、ローカルから使わなくなったFT-690も譲り受けました。でも残念ながら2台とも調子がよくありません。

 
いつか修理して、プチ移動運用を楽しみたいと思っています。ポータブル機に拘るのは、アマチュア無線マニュアルの1枚の楽しそうな写真が脳裏に焼き付いているからかもしれません。

2013.11.18_AA815を支えた愛しきリグたち(IC-720S)

AA815を支えた愛しきリグたち
11 /19 2013
第六回目は、アイコムIC-720Sを取り上げます。

 
社名を井上電機製作所からアイコムに変更した頃発売していたマイコン内蔵HF固定機IC-710の後継機。多くのプッシュボタンで構成されているため同時期のIC-551、351、251などと異なる印象です。


大きなSメーターでSWR付。

 
緑色のデジタルも、IC-551より少し大きめで見やすいです。


受信部はゼネラルカバーレッジ対応でアマ無線機でBCLが楽しめるというのが売りでした。当時の月刊短波にも珍しくアマ無線機の広告が載っていたものでした。

 
アマ無線を知ったのは中学2年の頃。CBの開局を目指していた当局の前に突如現れた友達。早速家に遊びに行くと、IC-710Sがお出迎え。


赤いデジタルと濃いオレンジの照明と金色っぽい針で構成されたSメーター。そして、BCLラジオにはついていないスタンドマイク。もっと驚いたのは、バンドを変えると「ガッチャッチャッチャッチャ!」とリレーらしき大きな音が無線機から響きます。「無線機の中で何かが動くの??」。と同時に、正直しびれました。
 
その日からCBよりアマ無線の取得への願望が膨らみ始め、中学2年生の夏休みに横浜石川町エジソンプラザのJARL講習会に通いました。当時の講習会は結構ハードで、朝から夕方まで2週間コースでした。お昼休みは、お弁当を食べた後、1階のトヨムラで無線機を眺める毎日でした。修了試験は、確か筆記試験だったような記憶があります。そして合格。従事者免許の申請には、医師の診断書なんかも必要で、近所のかかりつけの病院でもらったのを覚えています。
 
さて、無線機ですが迷うことなくIC-720S!(親に感謝!!)BCL出身者としてはHF以外は考えられませんでした。バンドは、友達が出ている21MHz。当時は無線機を何にするかに夢中で、アンテナなんかは二の次。結局、3バンドGP(当時バーチカルと呼んでいました。)でお茶を濁します。SWRもうまく調整できずだましだましで使っていました。

 
年上のローカルさんからは、「無線機はTS-520やFT-101程度にして、アンテナに力を入れた方がいいよ。」とのありがたいアドバイスもいただきましたが、右から左に通り抜けていきました。リグよりアンテナが大事なことを理解するのは、数十年後先となります。
 
無線機の購入は、近所にたまたまハムショップ「横浜ヘルツ」があり、そこで一式購入します。

家には車がありませんでしたので、アンテナ、単管、無線機など数回に渡って重い荷物を持ち帰ったものです。
 
局免が来るまでは、毎晩ローカルラグチューを聴きながら運用の勉強。その年の12月に、学校から帰宅すると局免が届いていました。コールは今も使っている「JN1GIH」。ヨコハマAA715局に報告し、早速ファーストQSO。
 
あれだけ事前ワッチで勉強したのに、いざ自分でマイクに向かってしゃべると、緊張してしまいます。何を喋ったのか覚えていません。スタンドマイクを握る手は、汗でびっちょりでした。AA715局はそのファーストQSOも自宅で受信してくれていました。

 
結局、IC-720SではBCLをあまりしませんでしたが、感度やチューニングにしやすさから洋上航空無線などはよく聴いていました。QSOとしては、遠距離も目指すもGPではあまり飛ばす、旭区、保土ヶ谷区ローカルの夜のラグチュー用となっていきました。高校に入ると部活で忙しくなり、次第に無線から遠ざかっていき、押し入れの奥で長い長い休眠状態となります。
 
そして約20年後の2003年、「また無線でもやろうかな・・・。」とふと思い立ち、IC-720Sを引っ張り出します。アンテナは、すぐに飽きるかもしれないので簡単に設置出来て安いやつということで、アローラインで有名なサガ電子のツェップ型ワイヤーアンテナ(21MHz専用で6.5mと短くコンパクト。これは買って正解でした。)とミズホ無線のアンテナカップラー(アンテナチューナーとも言う)を購入。何十年ぶりにIC-720Sから電波を出します。すると、長崎の局とQSOが出来ました。久しぶりに感動!!アンテナカップラーでSWRを極力落とすと、ワイヤーアンテナと10Wの組み合わせでも海外局と十分QSOが可能でした。
 
当局の復活を支えてくれたIC-720Sですが、お約束のリレーなどの劣化による感度低下に見舞われます。既にアイコムでは修理受付終了。中古で購入したFT-847Sに主役の座を譲り、再び長い眠りについたのでした。
先日、引っ張り出して通電してみましたが、デジタル表示などは元気そのもの。ただ、側面の取っ手のプラから可塑剤がにじみ出ていてドロドロでした。

 
開局当時より23年後の復活時に最も活躍してくれたIC-720S。復活時にきちんと動いてくれたからこそ、無線ライフの再スタートを切ることが出来たわけで、ありがとうという気持ちでいっぱいのリグなのです。

2013.11.16_AA815を支えた愛しきリグたち(ICB-R5)

AA815を支えた愛しきリグたち
11 /16 2013
第五回目は、ソニーICB-R5(スカイトーク)を取り上げます。

 
比較的長くフリラを楽しまれている局長さんなら大抵ご存知のリグなので説明は不要かもしれません。下の写真はQSOカード用に以前撮影したものです。(結局没になりましたが・・・。)

 
CBトランシーバーにデジタル中波ラジオが合体した操作パネルは今見てもかっこいいです。キャッチフレーズは「ラジオの中から友が呼ぶ」。当時、月刊短波にまで広告を打っていました。

 
このトランシーバーに対する当局のイメージは、屋外移動運用というより、勉強机の横において「ながら勉強」をしながら近所のクラスメイトとラグチューする広告通りのイメージが強いです。

 
BCLに熱中しながらも、電波を受信するだけでなく、発信してみたいと思うようになり、ワイヤレスマイク(当時ホーマーなどからキットが発売されていた。)をつかって、どこまで聞こえるか送受信テストごっこをしたものでした。
 
そして1980年の中学2年の頃、BCL仲間(のちのヨコハマAA715局)が「今度市民無線始めようと思う・・・。」と言いだし、当局としては「しみん無線??何それ?」といった感じでした。でも購読していたラジオの製作を読むと確かに「今日からキミも無線局長!」といった市民無線講座が連載されており、それを読むうちに当局も感化されていきました。
 
そんな頃、秋葉原の角田無線(X1)で市民無線やFMラジオを使ったFOXハンティング大会が開催され、どんなものか参加すると、会場はCBトランシーバーを持った同年代のヤングでいっぱい。ショルダータイプのICB-770、ICB-R5、RJ-580など大きなリグに長いロッドアンテナがとてもまぶしかったです。

 
「自分も早く開局したい。」と想いを強くし、技術家庭科の本棚作りでもスカイトークが入る大きさで作ったほどでした。ところが、当局はこの時期アマチュア無線を知り、結局そちらへ進み、市民無線は開局しませんでした。

このトランシーバーも、当局の友人が1980年頃購入し、電監コール ヨコハマAA715局として使っていたものです。ちょうどこの頃、無線の免許の電子化が進み、市民無線のコールサインのルールも平仮名からカタカナへ、数字も2けたから3ケタへ大きく変更された記憶があります。(今でもコールサインをわざわざカタカナ表記する局長さんがいますが、それは発行されたコールがカタカナだったからなのです。)
 
当時は、局数も多く毎晩BCLラジオでも多くのQSOが聴くことができました。高校生や中学生が多かったですね。そのため、無変調やケンカなどもよく起きていました。日本CB無線の会(←どんな会?)なんかもありました。

 
その後、2005年頃当局が譲り受け、当初は同じコールAA715で運用を開始。しかし何だか飛んでいない様子。周波数もズレているっぽい。早速、京都のハイソニックテクニカルさんへ修理に出します。

 
結果は、受信感度低下、出力は120mWしか出ていませんでした。元気になって帰ってきてからは、快調そのもの。途中、オリジナルのAA715が復活運用するとの話を受け、当局はコールサインを今のAA815に変更しました。
 
「ラジオの中から友が呼ぶ」というコンセプトは、マルドルの特小やアマ無線ハンディなどに受け継がれています。

 
でも当局としては、夜に試験勉強をしながら運用するあのイメージなので、ハンディよりポータブル機が欲しいところです。最近は手軽なハンディタイプが運用の中心となり、出番が少なくなったスカイトークですが、これを書いているうちに何だかまた使いたくなってきました。

2013.11.14_AA815を支えた愛しきリグたち(ICF-5900)

AA815を支えた愛しきリグたち
11 /14 2013
第四回目は、ソニーICF-5900(スカイセンサー5900)を取り上げます。
 
ポータブルラジオで10KHz直読を可能にしたエポックメイキングなラジオ。

右上のダイヤルでマーカーを使って周波数を校正し、中央のスプレッドダイヤルで直読します。ダイヤル廻りはアクリルのカバーが施され、照明の光が内部反射で下まで誘導されて、スプレッドダイヤルを照らしてくれます。スピーカーも大きく、低音が出て疲れない優しい音です。
 
当時、ラジオ界はまさにデジタル直読全盛。スカイセンサー5900も生産中止となり、後継機のラジカセ5950が細々と売られ、ライバルのクーガ2200もプロシード2800に主役の座を譲り、たたき売りの状態でした。既にICF-6800でBCLを楽しんでいたので不自由はしていませんでしたが、本などでスカイセンサーの偉業の記事を読むうちに、一度使ってみたいと次第に惹かれていきました。
 
1979年のある日、隣駅の西谷商店街を自転車で遊んでいた時、何気なく入った電気屋さんのショーウインドウで5900を発見。「幻のラジオがある!」と騒いでいた我々を店のおばさんは不思議そうに見ていました。その後、しばらくしてそのお店で購入しました。(西谷家電さんは既にありませんが、保証書のはんこだけ今も残っています。)
 
このラジオは、使いやすくするためにいろいろ手を加えていきました。まずは、スプレッドダイヤルの10KHz刻みをインレタを使って5KHz表示に。

照明スイッチは、押している間だけ点灯するタイプだったので、夜間常時点灯可能なようにスイッチ式に変更。これは便利でした。

そして中波10~20KHzの直読化。周波数フィルムの印刷部をベンジンでふき取り、白いフィルムにサインペンで周波数を記入していきました。(今思うと大胆極まりない。失敗したらどうするの?)

これらの改造で、その後の早朝中波DXで大きく活躍してくれることになります。
 
このラジオでの一番の思い出は、当時父が赴任していたインドネシアに夏休み遊びに行ったとき、これを持って行ったことです。毎日、夏休みの宿題をやりながら、ラジオオーストラリアの太平洋向け英語放送をよく聴いていました。場所柄、強力に入感していました。そして、極めつけはRRIの日本語課を訪問です。当時、プラボー課長と奥さんのハルヤティさんがメインでしたが、快く迎えてくださり日本からの訪問者ということでインタビュー形式で番組に出演させてくださいました。

5分程度のオープンテープでの収録形式でしたが、インタビューの際に当局が口ごもってしまったり。収録後は、その部分のテープをカットしてテープで繋ぎ合わせるなど、目の前で見せてくださいました。その時の放送は、日本でヨコハマAA715局が受信してくれています。帰りには、お土産としてべリカード全種類とペナントをいただきました。

 
その数年後、お約束のスプレッドダイヤルの左側の周波数の感度低下などで数回ソニーのサービスステーションに入院します。この度、点検で通電したところ音は出ますが、メーターの針は途中で引っかかったままで動きません。
 
当時の月刊短波のラジオ特集の記事で、理想のラジオとして「スカイセンサー5900程度の10KHz直読でもう少しコンパクトだったらDXペディションに持ってきやすい」との記述がありました。現在では、ICF SW-7600GR、DE-1103、PL-660などコンパクトでダイレクト入力・直読機が当時よりはるかに安い値段で入手できるようになりました。それらを使うとき、いつも思います。「このラジオが当時に出ていたら、あれだけのブームになっただろうか?」と。

2013.11.10_AA”715”を支えた愛しきリグたち(RF-2800)

AA815を支えた愛しきリグたち
11 /10 2013
第三回目は、ナショナルRF-2800(プロシード2800)を取り上げます。
 
アナログBCLラジオの最終形のRF-2200(クーガ2200)の次に投入されたデジタル直読機。

カタログの中でヨゼフ・ナジ氏(←誰?)も絶賛していましたよね。

 
デジタル表示は、ソニーと違って細長い長方形のセグメントで数字が構成されており、荒っぽさがたまりません。

また表示画面の部分に庇(取り外し可能)がついているのも他のプロシードにはない特徴です。
 
このラジオ、今は手元にありますが、もとは当局の友人ヨコハマAA715が当時買ったもの。何十年後にICB-R5(スカイトーク)と共に譲り受けたのです。1979年、当局がICF-6800を買う少し前に購入し、早速家に遊びに行き触らせてもらった時のことはよく覚えています。ダイヤルを回すとそれに合わせて、周波数カウンターが変化するのには感動しました。
 
当時は、ラジオたんぱでBCL教室がスタートしたり、休日には秋葉原の角田無線(X1)主催でBCLの集いなどが開催されるなど、まだまだBCLブームは続いていました。

BCLの集いには当局もAA715局と参加し、当日はBCL教室のミーティングガイドのオープニングボイスを収録しており、その後自分の声がラジオたんぱから流れニンマリしたものです。その後、ラジオたんぱからシャープペンシルが送られてきました。

 
また、気の合う仲間でオープンミーティングと称して各自のラジオを持ち寄りオールナイトワッチをしたり。(中学生なので、すぐに寝てしまいましたが・・・。)

 
当時の月刊短波に連載されていたミニ漫画「リグ・ログ・ラグ」で江の島で大晦日に年越しワッチをする話があり、それの影響もあります。

 
久しぶりに通電したところ、各所が接触不良でした。ナショナルはその後RF-2600を発売、赤いデジタルは姿を消し、緑色、そして液晶へ。それと共に、BCLブームも急速に終息に向かいます。

あの頃のナショナルは、本当に勢いがありました。上のカタログの写真は、豊富なラインナップでソニーに対抗している勢いをよくあらわしていると思います。
 
■追加ログ
 
運用結果は以下の通りです。
運用地:横浜市旭区固定
その他:DCR(アンテナ8mH AZ350S、出力1W
 
【DCR】せんだいSD550/1局 0本M5/M5 千代田区移動
【DCR】ヨコハマKZ123局 2本M5/M5 保土ヶ谷区固定
【DCR】カナガワEB129局 1本M5/M5 海老名市固定
 
各局さん、QSOありがとうございました。
 

2013.11.07_AA815を支えた愛しきリグたち(ICF-6800)

AA815を支えた愛しきリグたち
11 /07 2013
第二回目は、ソニーICF-6800を取り上げます。

 
当時のBCL少年の夢のラジオ「ワールドゾーンCRF-320」のエッセンスを手の届きやすい価格帯に再設計したのがこのラジオ。
 
短波と中波がデジタル直読。選局ダイヤルはバックラッシュも少なく程よい減速加減です。選択度もワイドとナローがあり、混信もスパッと切れます。中央の大型ドラムは普段はシルバーですが、夜間は内部から光りカッコイイです。あまり役立たない「メモライト」が当時のソニーには珍しく遊び心が見受けられます。

 
ラジオらしからぬデザインに一目ぼれ、毎日穴が開くほど月刊短波の広告を眺めていました。

 
そして1979年BCLを初めて半年後に無理をして買ってもらいました。昼時に家に届き、初めて聴いた局は13:00からの朝鮮中央放送日本語放送でした。使わないときはビニールカバーをかけ、ワッチしている時はいつも磨いていました。

 
夜間のワッチでは赤いデジタル表示を見つめるだけでまったりできたものです。

 
最初のうちは、日本語放送を中心に聴いていましたが、その後ループアンテナを導入したことで中波DXに傾倒していきました。きっかけは、グアムの現地向け日本語放送を行っていたKUAM(610KHz)。

 
国内局のかぶりが強くたまにしか受信できませんでしたが、べリカードをもらったり月刊短波に投稿したりとICF-6800は活躍してくれました。

 
印象に残っている局としては、北米アラスカのKJNP(1170KHz)です。学校から帰宅した17:30頃から英語が聞こえだし、運よく米国の国歌も流れてきました。中波で米国局を聴くのは不思議な感じでした。録音をしていたのでIDも確認でき、英語で受信報告書を送ったところ、A4サイズ(正確にはレターサイズ)のべリカードやタイプで打たれたレターが届き、とても嬉しかったです。

 
その後、洋上航空無線、アマチュア無線開局前にローカルのQSOをワッチして交信手順を事前勉強、近所のCB各局のワッチにと聴く対象は変化しながらも活躍してくれました。
 
その数年後、お約束のPLL不具合で数回ソニーのサービスステーションに入院します。5年ほど前、一念発起してハイソニックテクニカルさんに修理を依頼し元気になって帰ってきました。しかし、その後あまり使わず、結局押し入れへ。この度、点検で通電したところPLL不具合が再発していました。やはり寿命なのでしょう。

 
このラジオは今でも中古市場で人気と聞きます。それだけ当時のBCL少年の憧れだったのでしょう。そんなラジオを設計した当時のソニーの設計陣に感謝したいです。

2013.10.29_AA815を支えた愛しきリグたち(RQ-235TS)

AA815を支えた愛しきリグたち
10 /30 2013
今回から数回に分けて、当局のラジオ・無線ライフを支えてくれたリグとその頃の思い出をつづろうと思います。まず第一回目は、パナソニックRQ-235TSを取り上げます。(中国のサイトからの転載)

海外輸出向けに作られた中波・短波付のラジカセで、短波帯は3バンドに分けられ1.8MHzのトロピカルバンドから26MHzまでを連続カバー。(違法CBもよく聞こえていました。)チューニングメーターは大型で見やすく、後ろには外部アンテナ・アース端子もついています。選局ダイヤルは縦に回すタイプでバックラッシュもありますが、その隣にファインチューニングがついているので選局は容易です。カセット部はモノラルで、内蔵マイク付です。
 
このラジカセ、1976年頃に海外駐在が多かった父が国内の輸出製品を扱うショップで購入したようです。しかし駐在にはもっていかず、当局が小学4年生頃からニッポン放送専用ラジオ使っていました。当時、すでにBCLブームが盛り上がっていたと思われますが、全く記憶にありません。(それよりスーパーカーブームに熱中していました。)ニッポン放送の高島ひげ武のまだ宵の口、欽ドン、せんみつの足かけ二日大進撃、不二家歌謡ベストテン、くず哲也の日曜はダメよなどをよく聞いていました。

 
1978年、小学6年生になって、高島ヒゲ武の写真が載っているからと購入した故山田耕嗣先生の「BCLブック」でBCLを知り、初めてラジカセのバンドセレクターを短波に合わせます。

 
当時、各国が日本語放送を行っており、初めて聞くフェージングを伴って聞こえてくるインターバルシグナル(IS)に遠い海外に思いをはせたものです。BCLブックの放送局紹介ページに掲載されていた写真が今でもその国のイメージとして焼き付いているのは、当局だけではないと思います。
 
はじめの頃はISをキャッチするのが楽しく、その後ラジオオーストラリアの番組をよく聞いていました。
BCLブックに「ラジオを聴くときはログブックをつける。」と記載があり、固い内容の番組に耳を傾けて一生懸命ログをつけていました。中波では周波数大移動が11/23に実施され、ニッポン放送も1240KHzから現在の1242KHzに変更。切り替わる瞬間も聞いていましたが、2KHz程度の変更では聴いていてもよくわかりませんでした。
 
べリカード集めも、ニッポン放送、文化放送など在京キー局から始め、海外放送からの返信第一号はモスクワ放送からでした。

 
雪の日にソ連の切手が貼られた封筒が届き、大喜びしたのを昨日のように覚えています。翌日、小学校に持っていき当時の友達、後の「ヨコハマAA715局」に見せびらかしたものです。この頃から、月刊短波やラジオの製作を購入し始めます。下の写真は同時期のもの。BCLを始めたばかりなので楽しくて仕方がなかった時です。

 
その数年後、パナソニックRQ-235TSは調子が悪くなり、廃棄してしまいました。現在、ネットでこのリグを調べてもロシアや中国のサイトで見かけるくらいでほとんど情報が無いベールに包まれたリグです。
 
数か月後には、本格的デジタル直読BCLラジオを買ってもらうことになるのですが、今になって思えば非直読のため慎重にチューニングしていたあの行為こそが子供心に「すごいことをしているんだ!」というワクワク感を持たせてくれたのだと思います。

ヨコハマAA815

小学校高学年から家のラジカセでの海外放送聴取(BCL)に始まり、アマチュア無線、フリーライセンス無線と電波に関する趣味を細々と続けてきました。特に最近は、週末に近所の高台から小さな出力でフリーライセンス無線の仲間との交信を楽しんでいます。(雨の日など運用できない日は「はまっこ海軍工廠」で建艦作業をしています。)