2014.10.05_歴史の中に消えた愛しき規格_第2回_110フィルム
歴史の中に消えた愛しき規格第2回は、銀塩の「110フィルム」を取り上げます。
1972年にコダックが出したこの規格。(写真はネットより)
親が購入した物なのでどのような経緯だったのかはわかりません。
しかし、幼いころ母親が35mmコンパクトカメラのフィルム装填が苦手で、いつもフィルム屋さんでやってもらっていて、「そんなに難しいのかあ・・・。」と思ったことを覚えています。
それに引き換え、この110はカセット方式を採用し、フィルム装填はカセットをポンと入れるだけで完了という簡単さ。親は、これにひかれて購入したと思われます。
そのカメラは、型番は覚えていないのですが、ネットで調べた結果、キヤノンの110EDでした。(写真はネットより)
このカメラ、スライド式のマニュアルフォーカス(ファインダーの中にオレンジ色のフォーカスエリアがあり、二重の像をスライドボタンで一重にする)、ストロボのホットシューもついていました。上の黄色いボタンでシャッターを切るのですが、深く押し込む必要があり、手ぶれしやすかったです。
当局は、一眼レフに移行する中学3年生まで、撮影のメインで使っていました。
思い出深いのは、過去のブログでも書き散らした、虎ノ門のラジオたんぱ「ヤロウどもメロウどもoh!」の公開放送で憧れの人 大橋照子さんを撮影したことですね。
スタジオの周りの高校生・大学生リスナーは一眼レフに望遠レンズのなか、横長のカメラは少し恥ずかしかったです。
その他には、製作したプラモの写真。
当時始めたBCLラジオなども撮影しました。
これらの写真に共通するのは、画面右側が切れている点。
110カメラは、横長でファインダーは右端、レンズは中央に配置されているため、近接撮影ではどうしても右側が切れてしまうのです。(その後使った一眼レフは、ファインダーで見たのと同じ写真が撮れることに驚きました。)
その後、ペンタックスから110フィルムの一眼レフ「AUTO110」が発売されました。(写真はNetより)
何もかも小さなシステム、今見ても斬新です。上記の写真でもわかる通り、110フィルムは35mmフィルムに比べ面積が小さいので、画像が荒い宿命があるのですが、「AUTO110」の発売で現像側もまじめに取り組み始めたという話もあります。
その後、110フィルムは衰退し、現在ではほとんど見かけなくなりました。
カセットポン!の思想はその後、ディスクフィルム、そしてAPSに引き継がれます。しかし、いずれの規格も35mmフィルムに比べフィルムサイズが小さいため、またデジカメへの移行で消えていきました。
フィルムのサイズで規格の評価が決まるのは、歴史が物語っていますが、現在のデジカメでも似たようなことが起こっており、「歴史は繰り返す」ということでしょうか。
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